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角田夏実の両親(父・母)は?柔道始めたのは父の影響で母のお陰続けてきた?

角田夏実の両親(父・母)は?柔道始めたのは父の影響で母のお陰続けてきた? 人物

角田夏実の両親(父・母)について、柔道始めたのは父の影響、母のお陰で続けてきたのかについてまとめました。

角田夏実選手の両親(父・母)は一体どんな人なのか気になりますよね。

さらに角田夏実選手が柔道を始めるきっかけとこれまで続けてきたのは父親の影響・母親のお陰というところもあるようですが…真実はどうなのか知りたいです。

この記事では

  • 角田夏実の両親(父・母)
  • 角田夏実が柔道始めたのは父の影響
  • 角田夏実は柔道を母のお陰で続けてきたのか

についてわかりやすくお知らせします。詳しくは本文でお伝えしていますので、ぜひご覧ください。

角田夏実の両親(父・母)は?

角田夏実選手の両親(父・母)については、

自営業を営んでいた

ということがわかっています。

角田夏実選手のお父さん・お母さんはご自身で仕事をされていた自営業者だったんですよ。

一体何をされていたのかというと、

勝田台中央整骨院

こちらで整体師をされていました。

また両親ともにこちらの整骨院で勤めており、家族経営で働いていたんですね。

では詳しく見ていきましょう。

父親:角田佳之(よしゆき)

角田夏実選手の父親である佳之さんは『勝田台中央整骨院』でお勤めだったんですよ。

とても丁寧な問診に加えて腕の良さもあり、地元でも評判の良い病院でした。

ただ残念ながらコロナの影響により経営不振見舞われてしまい、令和4年12月に閉院してしまったんですよ。

お知らせ

何時も当院をご利用頂きありがとうございます。

昨今のコロナ禍、公共料金・材料費等、諸経費の高騰による経営圧迫、また諸々のストレスにより、院を継続することが困難となりました。

よって、昨年12月30日を持ちまして閉院とさせて頂きました。

長年の間、ご愛顧いただき誠にありがとうございました。 

今後も皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
勝田台中央整骨院公式ホームページより引用

コロナの影響だったとはいえ、腕のいい病院が閉まってしまうというのはとても残念ですね。

ただ家族に整体師がいるというのは、プロのスポーツ選手にとってとてつもないメリットです。

何かあった時にすぐに相談もできてメンテナンスもできる環境は、角田夏実選手にとってすばらしいサポート環境だと言えますね。



母親:角田五都子(いつこ)

角田夏実選手の母親である五都子さんも、父親の佳之さんとともに整体師として『勝田台中央整骨院』で働いていたとみて間違いないかと思います。

実は角田夏実選手のお母様も整体師だったんですよ。

それがわかる証拠として、実は『公益社団法人 千葉県柔道整復師会』の公式ホームページにこのような記事が載っています。

本会会員「角田五都子」会員のお嬢さん、角田夏実選手が柔道世界選手権女子48キロ級で金メダル!
『公益社団法人 千葉県柔道整復師会』公式ホームページより引用

『千葉県柔道整復師会』に会員として所属していたということは、母親の五都子さんも整体師だということがわかりますよね。

つまり『勝田台中央整骨院』は夫婦2人で営んできた病院だということ考えるのが自然ではないでしょうか。

角田夏実が柔道始めたのは父の影響?

角田夏実選手が柔道始めたのは父の影響なのかについては、

父親の影響

なんですよ。

父親の佳之さんがいなかったら、角田夏実選手は柔道をやっていなかったのではないでしょうか。

角田夏実選手の父親である佳之さんは前項で整体師としてお仕事をされていたとお伝えしましが、実はそれ以外の顔をもっているんですよ。

その別の顔というのは、

八千代市柔道協会会長

というものです。

そして佳之さんが角田夏実選手を柔道へ誘った理由について、

~中略〜

父・佳之(よしゆき)さんは角田夏実の柔道の出発点となった人物。父の肩にいつも乗っかっていたおてんば娘を「とにかく泣き虫だったから」と柔道へ誘う。
FNNプライムオンライン(2023年8月4日)引用

とお話ししていました。

泣き虫だった我が子の夏実さんを案じて、父親の佳之さんは柔道の道へ誘ったんですね。

とはいえ小学校2年生から柔道を始めた角田夏実選手の泣き虫っぷりは、いつまでも健在だったようですよ。

小学生では男女が一緒に戦うため、高学年(5〜6年生)になると男の子にはどうしても力負けしてしまっていたようです。

泣き虫さんにはなかなか辛い競技人生だったようですね。

角田夏実は柔道を母のお陰で続けてきた?

角田夏実選手は柔道を母のお陰で続けてきたのかについては、

黒帯とるまでは、やったらどう

この言葉が今まで続けてこられた原動力だったんですよ。

角田夏実選手は小学生の頃は背が低かったんです。

さらに階級も男女も分かれていない小学生時代は、試合も稽古もいつも泣いてばかりいたんだそうです。

なんなら試合開始前から「もう泣いている!」なんてことも…。

試合には負けてばかりいたある日、角田夏実選手から母親の五都子さんに向けて「やめたいな。」という言葉が漏れました。

その際に母親からかけられた言葉が先にお伝えした、

「黒帯とるまでは、やったらどう」
産経新聞(2024年1月1日)引用

だったんですよ。

そしてこの時の言葉をきっかけに、

小学生のとき、母の五都子(いつこ)さんのひと言で、挑戦し続ける柔道人生が始まった。
産経新聞(2024年1月1日)引用

と語っていました。

母親の五都子さんの一言で続けてこられた角田夏実選手もすごいですが…柔道においても泣き虫だったのは、裏を返せば「負けて悔しい」という想いがあったからなのでしょうね。

角田夏実選手の負けず嫌いの気質も柔道を続けてこられた要因の1つであると言えますね。

角田夏実はお菓子屋さんになろうとしてた?

角田夏実選手はお菓子屋さんになろうとしてたのかについて、

柔道を辞めて製菓の道へ行こうとしていた

というエピソードがあるんですよ。

持ち前の負けん気の強さと「強くなりたい」という一心で、角田夏実選手は柔道の名門である八千代高校柔道へ入りました。

高校時代の角田夏実選手は、

日本一(インターハイ制覇)

という目標を掲げて柔道に打ち込んでいたんですよ。

本人も「人生で一番頑張っていた時期」というほどに柔道に明け暮れた高校3年間を送っていました。

しかしながら、

[高校2年生]インターハイ3位
[高校3年生]インターハイ5位

と、残念ながら日本一になることはできませんでした。

とはいえ、インターハイに行けるだけでもすごいことなんですが…これをきっかけに角田夏実選手は『現実は甘くない』と思ったそうです。

たしかにすべてを出し切ってしまったら燃え尽きてしまいますよね。

『柔道はもういいかな』と思った角田夏実選手が次なる道に選んだのが、

製菓専門学校

だったんですよ。

実は父親の佳之さんと一緒に趣味でお菓子作りを楽しんでいたという経緯があったようなのですが…まさかの方向転換に周囲は驚いたことでしょう。

ただこの時に「待った!」をかけたのが、当時柔道部の監督を務めていた石渡正明さんでした。

この時のことについて、

「ばかやろう!インターハイ3位になってケーキ屋さん目指す奴がいるか!って(笑)。大学や実業団からスカウトがたくさん来ていたので、ぜひ続けてほしいと思っていたんですけどね」
FNNプライムオンライン(2023年8月4日)引用

とお話しされていました。

角田夏実選手はさすがに製菓学校に行くことはやめたようですが…柔道を楽しみながら続けられそうな環境へ進むことにしたようです。

何にせよ続けてくれたからこそ今があると言えますので、監督が声をかけてくれてよかったですね。



角田夏実の両親(父・母)まとめ

  • 両親ともに勝田台中央整骨院で整体師として勤めていた
  • 父親の影響で柔道を始め、母親の言葉を胸に柔道を続けてきた

以上のことがわかりました。

角田夏実選手の柔道人生は決して順風満帆とは言えません

しかしながらそれを支えてくれる周囲の人にはかなり恵まれているのではないかと言えますよ。

遅咲きの柔道家・角田夏実選手の活躍をこれからも見守っていきたいですね。






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